麻雀 麻雀戦略 三色の同時性 牌理 麻雀定石 山牌推理 麻雀で対戦相手の手牌や山牌を推理
テーマは、参加ランキングのカテゴリー・サブカテゴリーに関係なく、記事のテーマが合えばどなたでも参加することができます。
1件〜100件
~織田信長(1534-1582年)は、大将の馬の廻りに付き添って護衛・ 伝令・決戦兵力として働く親衛隊的な存在である「馬廻」などの 精鋭を赤・黒二色の「母衣衆(ほろしゅう)」として抜擢した~さらに、~その中でもとりわけ優秀な者については、部隊の指揮官にまで 昇進さ
「関ヶ原の戦い」(1600年)の折の出来事です。いささかの手違いがあって、心ならずも 西軍にその身を置くことにしたのが薩摩国・島津義弘(1535-1619年)でした。戦闘についての作戦もそれなりに具申しましたが、ただ西軍指揮官である石田三成(1560-1600年)はそれに賛意を
苦労の末に奪取した自らの権力を、わが子・秀頼に継承させるべく心を砕いた晩年の豊臣秀吉(1537-1598年)は、政権運営の一端を配下の有力武将、いわゆる「五大老」に輔弼させる形を取りました。徳川家康・前田利家・毛利輝元らに混じって、五大老には、秀吉に可愛がられてそ
天下平定を目前にした織田信長(1534-1582年)が家臣・明智光秀(1528?- 1582年)の謀反に倒れた後の天下を掌握したのは、これまた信長の家臣で あった羽柴秀吉(豊臣/1537-1598年)でした。 そして、さらにその秀吉が死を迎えたことによって、その後の豊臣政権には 大きなヒ…
織田信長(1534-1582年)から偏諱の「信」の字を、また下の字「康」を父・徳川家康(1543-1616年)から与えられたのが、後に「切腹」に追い込まれることになる家康嫡男・松平信康(1559-1579年/生前は徳川姓)でした。通説によれば、その「切腹」の発端は信康正室・徳姫が父
~宇宙の中心である中国王朝の文化・思想のみが最高のもので あり、それを持たない周辺(辺境)の異民族は単なる野蛮人に 過ぎない~こうした思想を「中華思想」と呼びますが、これがハンパなものでないことは、東西南北四周の異民族の総てに対して、野蛮人を意味する東夷
今回のタイトルが本年の大河ドラマのそれをパクったものになっていますが、 それは生来の面倒臭がりが出ただけのことで、決して悪意があってのことでは ありません。 その点、悪しからずご理解くださいネ。 さて、お話は戦国時代。 少しばかり極端な表現が許されるなら、その戦国乱世の常に中心に存在して いたのは少なからぬ尾張者の武将たちでした。 そうしたことは現代の尾張者・…
それまでまったく未知の宗教であった「キリスト教」が、この日本に初めて 伝わったのは司祭で宣教師のフランシスコ・ザビエル(1506-1552年)が、 洗礼を受けたばかりのヤジロウ(1511?-1550年?)ら3人の日本人とともに はるばる薩摩半島・坊津に上陸した1549年のことでした。…
強い者勝ちという戦国の時世にあって一介の足軽から身を起こし、ついには 最高権力者にまで上り詰めた人物、それが豊臣秀吉(1537-1598年)でした。 ちなみに、この秀吉とその直前に天下の大部分を掌握していた織田信長 (1534-1582年)、さらには秀吉の後に天下を平定した徳川家康
★都合により、しばらくの間(10日~2週間程度)記事の更新をお休みします。☆☆☆前回の「著名人の自宅を探訪~代田・代沢散策(4):服部克久/河口慧海/萩原朔太郎/円乗院」では、世田谷区の代田を散策しながら、服部克久の自宅や文士・著名人の旧宅跡を探訪しました。今回は、代田を散策しながら、中島みゆき、なべおさみなど芸能人・著名人の自宅を探訪します。(※)他の芸能人・著名人関係の記事については、「芸能人・著名人...
今回は、「失われた三田用水遺構と戦艦大和と目黒新富士~三田用水跡散策(6)」での散策場所近くにある史跡を通じて、隠れキリシタンについて考察してみます。また、本記事は「三田用水跡暗渠散策シリーズ」の番外編となりますが、番外編としては本記事の他に以下の2つの記事とシリーズがあります。①「日本最大のイスラム寺院・東京ジャーミイを訪問」②『「芸能人・著名人の自宅」と「湧水」を探訪~代々木八幡・初台・西原・大...
戦国の雄・織田信長(1534-1582年)についての一代記「信長記」には、信長近習の書記・太田牛一(1527-1613年)の手によるものと、これとは別に、儒者・小瀬甫庵(1564-1640年)が著したものがあります。両者を区別するために、一般的には牛一版を「信長公記」(1600年頃?)
歴史のいわゆる通説・俗説に繰り返し触れていると、単純にそれを史実と受け 止めてしまい、それ以外の見解には妙な違和感を覚えてしまうこともあります。 それどころか、場合によってはヨタ話・トンデモ説ということにして 切り捨ててしまうことさえ珍しくありません。 じつはつい最近のこと、読んでいた本の内容にそうした思いを味わうことが あったので、ちょっとばかりの親切心を発揮し…
戦国時代の日本に渡来した巡察師・ヴァリニャーノに同行し、織田信長(1534-1582年)の謁見(1581年)を経て、後にその献上品?とされた黒人がいます。~切支丹国より黒坊主参り候/年齢26-27歳ほど/ 十人力の剛力/牛のように黒い身体~よほどビックリこいた出来事だった
さて、平々凡々とか人畜無害とか、ともかくそのように揶揄されることも 決して珍しくない筆者の生き様からは到底想像できないものの一つに、 いわゆる「数奇な運命」と表現されるものを挙げることができます。 そこには紆余曲折というか波乱万丈が満載されているわけですから、筆者の 平々凡々・人畜無害とはまさに対極にある人生といえます。 そうした「数奇な運命」は何も男性に限ったも…
本作の徳川家康は、物語終盤、武田信玄との戦いの中、信長が、本当に頼れる存在なのか、不安視し、菊丸は、光秀のみが、信じるに足ると述べている。 家康の妻の築山殿…
本作において、羽柴秀吉を演じるのは、佐々木蔵之介。 本作の秀吉は、木下藤吉郎の時代、即ち、織田信長の家臣になる、以前から、登場する。 藤吉郎は、行商をしてい…
親の身分を子が継承することを、ごく当たり前のこととしていた時代もありました。それなりの格式を備えた家柄ともなれば、そのルール?はさらに厳しくなり、場合によっては、逆に親の身分を引き継ぐことから逃れるのが困難という状況すらあったほどです。いわゆる「家老の子
日本史上、真の意味において、大河ドラマの主人公に相応しい、と呼べる、女性は、持統天皇、北条政子、春日局の三人しかいない。 他の女性は、基本的に、能動的行動を…
本作において、五摂家の近衛家の当主、関白の近衛前久を演じるのは、本郷奏多。 前久は、近衛家に拾われ、育てられた、伊呂波大夫とは、姉弟の様な関係である。 前久…
前述の通り、朝倉義景は、足利義昭を保護下に置くが、一向に上洛を果たそうとはしなかった。 しかし、信長が、義昭を奉じて、上洛することを決断し、義昭が、越前国か…
片岡鶴太郎の大河ドラマ出演は、1990年、本作と同様、池端俊策の脚本の『太平記』における、北条孝時を始めに、1997年の『毛利元就』の井上元兼、1999年の…
日本史では「戦国時代」(1467-1590年)との異名もある室町時代の末期は、文字通り全国各地で活発に“戦さ”が展開された時代です。“活発に戦さ”ということは、言葉を換えれば、それに比例して多くの「戦死者」を生んだということにもなります。しかし、例えば映画やTV時代
本作において、室町幕府の第十五代将軍、足利義昭を演じるのは、滝藤賢一。 多くの作品では、義昭の良い面は、皆無に近く、圧倒的に無能な人物として、描かれる。 本…
室町幕府の奉公衆、三淵藤英を演じるのは、谷原章介。 奉公衆とは、将軍の直属の軍事力で、幕府の武官的存在である。 三淵氏の祖、三淵持清は、室町幕府の三代将軍、…
三好長慶の重臣、松永久秀を演じるのは、吉田鋼太郎。 吉田の大河ドラマ出演は、1998年の『徳川慶喜』の近江屋作兵衛、2007年の『風林火山』の津田堅物、そし…
ひょんな成り行きから、近しい者数人で愛知県丹羽郡大口町にある 「大口町歴史民俗資料館」を訪ねることになりました。 ここら辺の土地勘を持ち合わせている者がいないために、まずはその場所を 調べることから。 すると、筆者の生息地からひたすら北へ30kmほどと判明したので、あとは カーナビ任せに。 これで何事もなくスンナリ到着できるはずでし…
本作において、足利宗家、第二十代当主、室町幕府の第十三代将軍、足利義輝を演じるのは、向井理。 義輝は、戦国時代の大河ドラマの主人公となる、織田信長・豊臣秀吉…
漂着した異国船が薩摩国・種子島へ鉄砲という当時のハイテク兵器を もたらした、いわゆる「鉄砲伝来」は1543年のこと。 日本が初めて西洋の先端技術を目の当たりにした出来事だと言っていいのかも しれません。 それから数年後の1549年には、今度はカトリック司祭であるフランシスコ・ ザビエル(1506頃-1552年)…
第二十話及び、第二十一話は、今川義元の尾張国侵攻、そして、桶狭間の戦いを描いている。 そのため、完全に、信長が、主人公となっている。 本作の桶狭間の戦いにお…
信長は、病を装い、見舞いに訪れた、信勝と、互いに相手の美点を羨んでいたことを明かし合う。 しかし、信勝は、信長を毒殺するため、毒を持ち込んでおり、信長は、そ…
「仏の国」と書くのは、お釈迦様の出身地であるインドのことですか? あるいは「米の国」って、米食大好き民族の生息地、日本のことですか? 軽口好きなオジサンあたりがよく使いそうなボケですが、ご承知のように 「仏国」と書いてフランス国を、「米国」と書いてアメリカ国を意味します。 しかし、ちょっと待て。 「ご承知のように」とは言っているけれど、「仏国」「米国」との表現のい…
織田信秀は、嫡男の信長に那古野城を、信勝に末森城を与えたが、本作の信長は、末森城が、信勝に与えられたことに不満を抱いている。 何故なら、前述の通り、末森城は…
豊臣秀吉(1537-1598年)政権下で、ともに五大老としてその職責を担っていた徳川家康(1543-1616年)と前田利家(1538?-1599年)のその後は以下のようになりました。○1598年 豊臣秀吉の死 (享年62)○1599年 前田利家の死 (享年62?)○1600年 故・利家の妻・まつ(
本作の織田信長は、完全な新解釈である。多数の作品の信長は、「唯我独尊」的人物として、描かれることが多い。 しかし、本作の信長は、愛情に飢えているため、褒めら…
前述の通り、織田信長の曽祖父、織田良信は、織田敏信の息子とされているが、定かではない。 その息子、即ち、信長の祖父、織田信定は、良信の息子ではなく、大和守家…
本作において、織田信長を演じるのは、染谷翔太。二十七歳の染谷は、大河ドラマの出演は、四作目。 ただし、本作以外は、数話のみの登場であり、レギュラー出演は、本…
斎藤利政の庶長子、斎藤高政を演じるのは、伊藤英明。高政は、歴史上では、斎藤義龍の名で、知られる。 本作では、長良川の戦いで、道三を殺害し、上洛後、義龍に改名…
天下布武を目前にしながら、その直前に家臣・明智光秀の謀反に倒れた織田信長(1534-1582年)。そしてその後の政局を掌握したのは、同じく信長の家臣だった羽柴秀吉(1537-1598年)でした。後に新姓を賜り「豊臣秀吉」と名乗ることになる人物です。そして、その名乗りの変遷
『麒麟がくる』の帰蝶は、物語前半は、ヒロインの一人として、大活躍する。 本作の帰蝶は、光秀の従兄妹であり、第一話から、層状する、才気溢れる、活発な人物である…
仮に、沢尻エリカが、降板せず、帰蝶を演じていれば、全く、別の帰蝶になっていたのみならず、異なる、作品になっていたと考えられる。 沢尻エリカは、「悪女」のイメ…
斎藤道三の娘、本作のヒロインの一人、帰蝶を演じるのは、川口春奈。 帰蝶は、「濃姫」の名が、有名であるが、濃姫は、織田信長の尾張国の視点で、美「濃」国の「姫」…
「三日坊主」とは、修行に耐えられず三日で還俗してしまう僧侶(坊主)のこと から生まれた言葉だそうです。 何をしても厭きっぽくて長続きしないことや、またそのような人のことを 嘲っていう時に割合よく使います。 ちなみに還俗とは、一度出家した者が再び俗人に戻ることを意味していますし、 また、この場合の「三日」とは一日二日三日と指入りカウントして数える実際の 日数ではなく「…
本作において、美濃国の守護代、斎藤道三を演じるのは、本木雅弘。 本作内では、出家前の名、斎藤利政の本名、または、通称の山城守と呼ばれている。 通説においては…
本作の事実上のヒロインは、門脇麦の演じる、架空の人物、駒である。 オープニングの出演者のクレジットでは、駒=門脇麦が、煕子=木村文乃より、先である。 女優と…
出自不明、生年不明の明智光秀が、斎藤道三に仕えていたとの説は、確かではく、無論、道三の命を受け、京の情勢を探り、尾張国に潜入する等は、史料は、完全に皆無のフ…
明智光秀、通称、「十兵衛」は、本作では、基本的に「十兵衛」と呼ばれることが多い。 通称とは、江戸時代以前には、「本名」=「諱」を呼ぶことを避けるために用いら…
平手政秀(1492-1553年)は、尾張の虎とも呼ばれた織田信秀(1511-1552年) と、その嫡男・信長(1534-1582年)の二代に仕えた人物でした。 ところが信秀が死ぬと後を追うように自刃しています。 その理由については、 ○信秀亡き後の織田家の派閥争いが原因 ○後継者となった信長とは以前から反りが合わなかった ○その若殿・信長のあまりのうつけぶりを…
2014年の『軍師官兵衛』は、春風亭小朝が、明智光秀を、江口洋介が、織田信長を演じている。 同作では、怨恨説を採用し、岡田准一の演じる、黒田官兵衛及び、竹中…
たとえば、こんな素っ気ない紹介文だとしたら、その意味するところをすんなり理解できる人は少ないのかもしれません。~耶蘇教が日本に伝わった戦国時代の16世紀、伴天連の 活動もあって、この日本にも多くの切支丹が誕生した~早い話が、この耶蘇教(やそきょう)、伴天
本作の主人公、明智光秀を演じるのは、長谷川博己。 既に、長谷川は、2013年の『八重の桜』の川崎尚之助役として、大河ドラマに出演している。 川崎尚之助は、綾…
極論を言えば、本作は、2016年の『真田丸』と同様、最終回のために、全話が、描かれている。 歴史ドラマは、戦国時代のみならず、日本史上の全時代を通じて、クラ…
日本史上最大の謎、本能寺の変の原因について、本作は、怨恨説、朝廷黒幕説などの一つの要因ではなく、複合的要因としている。 しかし、最大の理由は、ある意味、信長…
最終回を見終えたばかりの、2021年2月7日時点の筆者の感想としては、『麒麟がくる』の題名の回収としては正直、微妙であった。 しかし、何故、明智光秀が、「本…
NHK大河ドラマ【麒麟がくる】 評価:085点/2020年/大河ドラマ/脚本:池端俊策/全44話/平均視聴率:14.4%出演:長谷川博己、染谷翔太、門脇麦、木…
「死んでも生きている」?別にフランケンシュタインやゾンビのお話ではありませんが、実は「その時死んだ」ことが歴史の事実として確定しているにもかかわらず、「いや、奴サンは実は死んではいなかったのだ」と主張される人物が、日本史には少なからず登場しています。これ
蜂須賀至鎮は、木津川口砦攻略後に、同地に布陣していたが、水野勝成が、博労淵砦を攻略する前に、自身が、砦を落とそうと考え、家康に「博労淵の守備兵が、荻に隠れて…
蜂須賀至鎮は、1586年(天正十四年)、蜂須賀家政の長男として、誕生した。 至鎮の母は、家政の正室、生駒家長の娘の慈光院。 前述の通り、1600年には、小笠…
小田原城中では、北条氏の一族及び、重臣が、豊臣軍と徹底抗戦するか、降伏するかの議論が、紛糾し、長々と続いた。 その印象によって、平時に、月二回程度、行われて…
1583年(天正十一年)、蜂須賀家政は、賤ヶ岳の戦いに参加し、播磨佐用郡内に、三千石を与えられた。1 585年(天正十三年)には、家政は、父の正勝と共に紀州…
蜂須賀家政は、1558年(永禄元年)、蜂須賀正勝の嫡男として、尾張国の丹羽郡宮後村の宮後城に生まれた。 母は、正勝の正室の大匠院、松。 大匠院の出自は、明確…
大坂城の留守居の蜂須賀家政・生駒親正・黒田長政は、紀州勢と戦ったが、建設途上の大坂の町は、無防備のため、、紀州勢は、大坂の街を破壊して、焼き払った。 最終的…
中国国分の結果、羽柴秀吉が、当初、求めていた、高梁川以東の毛利領の全面割譲は、受け容れられなかったが、備中国の内、賀陽郡・都宇郡・窪屋郡、美作国及び、備前国…
「関ヶ原の戦い」(1600年)の折に端を発した徳川VS島津の確執は、その後も長く尾を引くことになりました。この時、島津(薩摩藩)は東軍(徳川方)へ味方する旨を申し出ましたが、徳川方がこれを頭から疑ったこともあって、西軍への参加を決めたのです。すっかり拗ねちゃ
7月17日には、山崎合戦のあった、天王山山頂に山崎城の普請を開始した、秀吉に対し、安国寺恵瓊が、早々に、毛利輝元及び、吉川元春の使者として、訪れている。 毛…
本能寺の変の以前から、既に、羽柴秀吉は、包囲を継続すると同時に、毛利家との講和の交渉に入った。 毛利家は、僧侶の安国寺恵瓊を黒田孝高のもとに派遣し、備中・備…
キリスト教宣教師として、最初に日本に来た(1549年)フランシスコン・デ・ザビエル(1506頃-1552年)が、その布教活動において、ちょいとばかり首を傾げたことがありました。~唯一神である「デウス」を連呼したところで、その名を知らぬ 日本人にはどうも上手く伝ってお
毛利元就の次男、吉川元春が、伯耆国に侵攻して、南条元続の羽衣石城及び、小鴨元清の岩倉城を攻め、経家の雪辱を果たそうと、馬山に背水の陣を布いた。 秀吉は、正勝…
「戦国時代」はいつ始まったのか?そのひとつにはこんな見方もあるようです。~そりゃあ、やっぱり室町六代将軍・足利義教(1394-1441年)が 暗殺された、その瞬間からだろうなぁ~この見解に従えば、その「嘉吉の乱」(将軍義教暗殺/1441年)の実行犯・赤松光祐(1381-1
1580年(天正八年)1月、三木城の食料は、既に底を尽いていた。 織田軍は、三木城内の支城を攻撃し、6日には、長治の弟、友之の守る、宮ノ上砦を、11日には、…
その本名を「伊勢(新九郎)盛時」と言ったそうですが、これよりは別名の「北条早雲」の方がよく知られている人物です。生まれは1432年とも1456年よも言われ、またその出自についても、一介の浪人に過ぎないとする見方もあれば、室町幕府に何らかの関りを持っていた人物の血
明治維新に大きな功績を果たした雄藩も実際にはそれぞれの事情を抱えて いました。 そうした事情は長州藩でも同様で、藩主・毛利敬親(1819-1871年)の下で、 改革派と保守派の2つの派閥が主導権を争っていました。 その各々の姿勢を追えば、改革派とは尊王攘夷・討幕派のことであり、 保守派とは幕府恭順派ということになります。 後には改革派は「…
山中鹿之助=山中幸盛の死に伴い、一時、中国地方に覇を唱えた、戦国大名、尼子氏の再興は、叶わずに、滅亡したのである。 1577年(天正五年)、順調に進んでいた…
西播磨の豪族の内、備前国及び、美作国境に近い、上月城の赤松政範は、容易に秀吉に恭順せずに、毛利輝元と協調する、備前国の宇喜多直家との連携を強化した。 その…
陣立ては、三段で、先陣は、佐久間信盛、松永久秀、細川藤孝及び、若江衆、二番手は、羽柴秀吉、滝川一益、丹羽長秀、稲葉一鉄、蜂谷頼隆、三番手は、信長の馬回りであ…
そのため、信長は、長島に救援に赴くことができなかった。 同年12月、信長は、浅井・朝倉連合軍と和睦する。 翌年の2月、近江国の佐和山城主の磯野員昌が、織田信…
1571年(元亀二年)、浅井長政及び、一向一揆勢は、近江国の国人領主である、堀秀村の箕浦城に攻め寄せた。 浅井氏の庶流である、浅井井規は、秀村の居城、鎌刃城…
とてつもなく意外な発想とか、あるいは当時の常識にはとんと囚われない言動 とか、その時代の常識の枠内に収まっていないように感じられる出来事も、 時として歴史の中には登場します。 この表現では、筆者の言おうとしていることがイマイチ分かりにくい印象です ので、二三の具体例を挙げておきましょう。 例えば、こういうことです。 ずっと昔々の第41代・…
1569年(永禄十二年)、蜂須賀小六は、秀吉の代官として、京に留まって、警備に当たり、同年5月、二条城が、火災に見舞われた際に、速やかに鎮火した。 そのため…
これは歴史事件というよりは神話に語られている出来事ですが、この国 (日本)の始まりはこうでした。 ~(まず最初に)天照大神の命を受け、その孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト) が高天原から日向国の高千穂峰に天降(あまくだ)りました~ 天照大神の「孫」が「天から降った」のですから「天孫降臨」です。 …
1568年(永禄十一年)、織田信長は、足利義昭を奉戴し、上洛を開始した。 上洛の途上に、南近江の六角義賢・義治の父子の居城、観音寺城があった。 信長長は、義…
スペインの宣教師フランシスコ・ザビエル(1506-1552年)がキリスト教の 布教を目的として、日本(鹿児島)に上陸したのは1549年のことでした。 以後、滞在2年余のうちに平戸、山口、京都などで活動を続け500人以上に 洗礼を授けたとされています。 この頃は日本各地で戦が多発し、後に「戦国時代」と呼ばれることになる 時期でしたから、キリスト教の…
墨俣城の築城は、『絵本太閤記』では、織田信長の命令によって、最初に佐久間信盛が、次に柴田勝家が、築城を試みるが失敗する。 秀吉は、信長に七日間で、完成すると…
蜂須賀正勝、通称、小六は、1526年(大永六年)、蜂須賀正利の長男として、蜂須賀城に生まれた。 前述の通り、正勝の父、蜂須賀正利は、川並衆として、斎藤道三に…
徳島藩主の蜂須賀家は、斯波氏の支流として、斯波武衛家の六代当主、尾張国の守護の斯波義重に従って、尾張国に入り、尾張国海東郡蜂須賀郷を代々、領有したと言われる…
賤ケ岳の戦いは、柴田勝家、滝川一益と、羽柴秀吉、丹羽長秀の織田政権内部における、主導権争いであると同時に、信長の次男の織田信雄と、三男の織田信孝の対立でもあ…
戦国の覇者・織田信長(1534-1582年)の家臣であった明智光秀(1528?-1582年)は、主君・信長に対する謀反「本能寺の変」(信長暗殺事件/1582年6月)を決行しました。その直後には、その首謀者・明智光秀に対する、これまた信長家臣・羽柴秀吉(1537-1598年)が弔い合戦と
勝家は、佐久間盛政の大岩砦の襲撃の意見具申に対して、砦の陥落後は、即座に軍勢を撤退することを条件に攻撃を許可した。 大岩山砦は、中川清秀が、守っていたが、盛…
同年12月2日、秀吉は、毛利氏の対策として、山陰は、宮部継潤、山陽は、蜂須賀正勝を置いた。 そして、清須会議の和睦を反故にして、大軍を率いて、近江国に出兵す…
清須会議において、柴田勝家は、主君の織田信長の妹であり、浅井長政の妻であった、市を正室に迎えている。 勝家は、この年、六十市歳。市は、三十七歳。何故、勝家と…
山崎の戦いの後によって、明智光秀が、敗死した後の1582年(天正十年)6月27日、清州城において、織田家の重臣達が、集結し、織田家の家督相続問題及び、領地再…
尾張国・織田信長(1534-1582年)が、「天下布武」との印文を自分の朱印と して用いるようになったのは、美濃攻略を成功させた後、井ノ口を岐阜と 改名し、自らの拠点を尾張国・清州からこの地へ移した1567年頃からだと されています。 この文言は、一般的には天下統一への意識を強く示したものとの説明に なって…
本能寺の変の時点の信長軍の五人の「方面軍司令官」の内、柴田勝家は、前述の通り、上杉軍によって、足止めされた。 関東方面軍司令官の滝川一益は、神奈川の戦いにお…
1998年に公開されたアメリカ映画「プライベート・ライアン」(原題"Saving Private Ryan"<兵卒ライアンの救出>)は四人兄弟のうち兄三人までが戦死したばかりか、残った末弟もまでが現在前線で戦闘に加わっている事実を知ったアメリカ軍上層部が、その末弟を無事に帰国させる
上杉軍の中条景泰は、柴田勝家が、魚津城を包囲すると、即座に、上杉景勝に対して、救援を求めるが、越後国に隣接している、信濃国及び、上野国には、武田家を滅亡させ…
江戸時代を舞台にしたTV時代劇の劇中に登場した文字を書くシーンでは、 筆記ツールとして毛筆が使われていました。 その数日後、今度は幕末維新を描いたTVドラマです。 ここにも同様のシーンが登場しましたが、筆記ツールはやはり毛筆でした。 さて、こんなプチ体験から、個人的にちょっとした素朴な疑問を持つことに なりました。 ~するってぃと、日本人が…
たとえば、この戦国武将は諸事情も重なって、一生のうちに数多の名前を 持つことになりました。 もちろん数だけでいえば、もっと多かった人物もいるのかもしれませんが、 それにしても現代人の感覚からすれば、やはりこんな印象になるところです。 ~こんなに多くの名前を持って、逆に不自由はなかったのかしら~ せっかくですから、その例に挙げた戦…
信長と石山本願寺の和睦後、柴田勝家は、一向一揆の司令塔、金沢御堂を攻め滅ぼして、軍勢を北加賀及び、越中国との境界に進めた。 1580年(天正八年)11月に、…
しかし、同時期に、摂津国において、信長の重臣である、荒木村重が、謀反を起こした。 信忠軍の加茂砦が、荒木村重の夜襲を受けると、信長は、利治に対し、越中国を速…
戦国時代で最も有名は姉妹といえば、北近江の戦国武将・浅井長政とその妻・お市(織田信長の妹)の間に生まれたいわゆる浅井三姉妹(茶々・初・江)でしょう。後に、長女・茶々は豊臣秀吉の側室(淀殿/1569-1615年)となり、三女・江(1573-1626年)は徳川家康の息子・秀忠
麻雀 麻雀戦略 三色の同時性 牌理 麻雀定石 山牌推理 麻雀で対戦相手の手牌や山牌を推理
ゲーム「エルデンリング」関連記事なら何でもOKです。
ヘブンズバーンズレッドプチ攻略
ドラゴンクエストXオンライン。それ以上でもそれ以下でもない!
ゲームセンターにあるメダルゲーム、コインゲームが好き!始めてみたい!という方に向けた情報を発信していきます。 ※『メダルゲーム』に関連性ないものはテーマの投稿NGです。
【統合版】マインクラフト、Windows10版、Android版の改変方法等。
バカでも達成
夢女子・夢男子。恋してるなら誰でも。
マイクラブログをやってるひとはじゃんじゃんお願いします!
マリオメーカーをやってる人が対象です